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こころがかゆいときに読んでください
たくさん読むから偉いんじゃない
速く読むから賢いんじゃない
──80冊の本、80とおりの転がりかた
■四六判並製 ■312ページ
【目次】
まえがき
本をつくる
本を読む
人を読む
イメージを読む
本棚が、いらなくなる日
自著解題1989-2013
初出一覧
<まえがき>
「また『ロードサイド』かよ」という声が聞こえてきそうな本書『ロードサイド・ブックス』は、二〇〇八年に発表した『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』に続く、二冊めの書評集である。
収録された書評というか記事は約八十冊ぶん。こうして一冊にまとまったものを読み返してみると、いろいろな思いがこみ上げてくる。
前書以降、僕にとっていちばんの変化、それは活字の仕事がほとんどなくなったことだ。巻末の初出リストを見てもらえばわかるように、今回の八十冊のうち、雑誌や新聞のために書いた記事は三十ほど。半分以下だし、そのほとんどは紀伊國屋書店の広報誌「scripta」で長くやらせてもらっている連載だから、まあ大半がウェブ・メディアのための原稿で、それもほとんどすべて二〇一二年一月から始めた自分の有料週刊メールマガジン『ロードサイダーズ・ウィークリー』と、その前身である無料ブログ『ロードサイド・ダイアリーズ』に書いたもの。つまり出版社から依頼された仕事がほとんどない!という驚愕の事実が、ここに明らかになった......って、仕事もらえなくなっただけじゃないですか!
それが長く続く出版不況のせいなのか、書評担当編集者に嫌われるようになったのか、原因はわからない、というかわかりたくない。たぶん、その両方なのだろう。でも日曜日の新聞の書評面や、雑誌のうしろのほうに申し訳ていどに載っかってる「書評」に、もうほとんど心動かされなくなったのも事実だ。新刊書の情報はいまや印刷メディアではなく、Amazonからの「都築響一さん、こんな本が......」みたいなお知らせや、いろんなツイートやFacebookの書き込みから得るほうが圧倒的に多くなったのは、みなさんも同じかと思う。
メールマガジンを購読していただいている方々はおわかりだろうが、ウェブには基本的に分量の制約がない。一万字、二万字の著者インタビューだって、図版を百点掲載するのだって、音声や動画を組み合わせるのだって可能だ。そういうスタイルに慣れてしまったいま、いったい八百字とか千二百字とかで、著者が心血注いだ作品を、どう語れというのだろう。前書にはそんな短い紹介記事がたくさん載っていたが、いまはもうそういう記事は、書こうと思っても書けない。依頼もないが。
二十代の初めに雑誌の編集部に飛び込んで、もうすぐ編集者生活四十年になるいま、僕のような人間ですら(というと不遜な言い方になるが)、これだけ仕事がない、ちゃんと書ける場が自分のメルマガしかないという現状には呆然とするしかないし、いったい若手の同業者はどうやって生活できているんだろうと心配にもなるが、まあ本心ではあんまり呆然も心配もしていないというか、しているヒマがない。
毎週毎週、容赦なくやってくるメルマガの締め切りのために、どこに行くにもノートパソコンを背負って、Wi-Fiでネットにつないで、寸暇も惜しんで書きまくる日々がもう二年半も続いていて、それはたしかに大変ではあるけれど、苦しくはない。苦労ではあるけれど、ストレスではない。書きたいことを書きたいだけ書けて、それを道端の産直野菜コーナーみたいに直接、読者に買ってもらって、そのお金でまた取材に出かける。深夜まで飲みながら編集者のご機嫌とったり、おしゃれなデザインにあわせてむりやり文章や図版を削ったりしてるより、はるかに健全に思えてくる。
印刷メディアの世界では、小出版社は大出版社にぜったいかなわない。僕の手作り本を置いてくれる本屋は十軒ぐらいだろうが、大手の出版社で作った本が流通に乗れば、日本中の本屋に行きわたる。自費だったら六十四ページとかが精一杯でも、出版社がウンと言ってくれたら六百四十ページの本だって可能だ。
でもウェブ・メディアはちがう。巨大出版社の総合誌と、僕の細々としたメルマガでは、予算は一万倍どころか百万倍ぐらいちがうけれど、そういうメジャー誌をウェブで読むときに、僕のメルマガと較べてモニターが百万倍大きくなるわけでも、解像度が百万倍高くなるわけでもない。音楽配信でも映像配信でもそれは同じこと、ウェブには送り手のスケールメリットを完全に無力化してしまうという、素晴らしい特性がある。有名だろうが無名だろうが関係ない。おもしろければ、ひとはアクセスし、情報は拡散する。つまらなければ、捨てられる。それだけだ。
多くのひとがそうだろうが、僕も原稿は百%ワープロソフトで書く。それをウェブに乗せて発表する。ということは完全に横書きの世界に生きている。それがこうして書籍という形態に落とし込まれて、初めて縦書きに組み直されて現れるのは、僕にとって少なからぬ違和感と、新鮮さが入り混じった感覚だ。ウェブで書いて、まとまったら本にするというやりかたが、これからもしばらくは続くはずなので、それはこういう感覚と折り合いをつけながら進んでいく、ということでもあるのだろう。
繰り返しになるが、本書に収められた原稿の多くは、メールマガジンという媒体だからこそ実現できたボリュームだ。書籍化する時点でほとんどの図版をカットせざるを得なかったが、「すぐ書いて、すぐ読んでもらって、すぐ次に行く」というこの新しいスタイルは、僕のささやかな編集者人生で辿り着いたひとつの到達点であるし、現在進行形の挑戦でもある。
本書の文中からそのエネルギーを少しでも感じ取っていただけて、メールマガジンにも目を向けていただけたらうれしいし、僕はさらに遠くに行けるだろう。
都築響一